
7/18(金) 11:12配信
『ごんぎつね』の読めない小学生たち
都内のある公立小学校から講演会に招かれた時のことだ。校長先生が学校の空気を感じてほしいと国語の授業見学をさせてくれた。小学4年生の教室の後方から授業を見ていたところ、生徒の間に耳を疑うような発言が飛び交いだした。
「この話の場面は、死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところだと思います」
「私たちの班の意見は違います。もう死んでいるお母さんを消毒しても意味ないです。それより、昔はお墓がなかったので、死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」
「昔もお墓はあったはずです。だって、うちのおばあちゃんのお墓はあるから。でも、昔は焼くところ(火葬場)がないから、お湯で溶かして骨にしてから、お墓に埋めなければならなかったんだと思います」
「うちの班も同じです。死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたんだと思います」
生徒たちが開いていたのは国語の教科書の『ごんぎつね』だ。作家の新美南吉が18歳の時に書いた児童文学で、半世紀以上も国語の教材として用いられている。生徒たちはその一節を読んだ後、班ごとにわかれてどういう場面だったかを話し合い、意見を述べていたのである。
授業で取り上げたのは、ごんが兵十の母親の葬儀に出くわす場面である。そこでは、兵十の家に村人たちが集まり、葬儀の準備をしているシーンが描かれる。家の前では村の女たちが大きな鍋で料理をしている。作中の描写は次の通りだ。
〈よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐずにえていました〉
新美南吉は、ごんが見た光景なので「何か」という表現をしたのだ。葬儀で村の女性たちが正装をして力を合わせて大きな鍋で何かを煮ていると書かれていることから、常識的に読めば、参列者にふるまう食事を用意している場面だと想像できるはずだ。
教員もそう考えて、生徒たちを班にわけて「鍋で何を煮ているのか」などを話し合わせた。ところが、生徒たちは冒頭のように「兵十の母の死体を消毒している」「死体を煮て溶かしている」と回答したのである。
当初、私は生徒たちがふざけて答えているのだと思っていた。だが、8つの班のうち5つの班が、3、4人で話し合った結論として、「死体を煮る」と答えているのだ。みんな真剣な表情で、冗談めかした様子は微塵もない。この学校は一学年4クラスの、学力レベルとしてはごく普通の小学校だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/00e9486bae20c62b0436d4d86d05f6f9a35a0685
引用元: ・https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1752900628/
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Source: 資格ちゃんねる