
西暦79年、イタリア南部のヴェスヴィオ山が噴火し、古代都市ポンペイとヘルクラネウムは壊滅した。
町は火砕流と火山灰に埋もれ、住民のほとんどが犠牲になったというイメージがある。だが、実際には生き延びた人々が少なからず存在した。
アメリカの古代ローマ史を専門とする研究者による近年の調査で、本来なら遺跡に残っているはずの遺物が消えていることが明らかになった。
たとえば、馬や荷馬車、港の舟、貴重品や日用品の一部が見当たらないのだ。それは、人々が必要なものを手に取り、家族とともに町を離れた証拠だという。
では、彼らはどこへ向かい、どのようにして生活を立て直したのか。自然災害の脅威をくぐり抜けて生き延びた人々の知られざるドラマに迫っていこう。
▼あわせて読みたい
・ヴェスヴィオ火山噴火で人間の脳がガラス化した理由
・ポンペイの火山噴火の犠牲者のDNA分析で新たな事実が判明。これまでの仮説が覆される
・噴火後のポンペイ生存者の記録が発見され、噴火後どうやって生活を立て直したかが明らかに
・火山噴火で黒焦げになった古代ローマの巻物の解読がさらに進む「ヴェスヴィオ・チャレンジ」
・これがピザの元祖なのか?ポンペイの遺跡でピザのような料理を描いた壁画が発見される
Source: カラパイア
